3月のコラム「恩」 2021年02月28日

「受人滴水之恩、当以湧泉相報」=「水滴のような恩にも、湧き出る泉のような大きさで報いるべき」このような中国に伝わることわざがあるそうです。
 私はこのことわざを拝見したとき、「水滴のような恩」という言葉にある種の衝撃を受けました。

 「恩」という言葉を使用するとき・・・「恩師」「恩恵」「報恩」「四恩」「恩義」などを思い浮かべます。「恩」というと、私自身の経験と感覚から、人生に大きな影響を与えた転換点にもなり得る施しのようなことを受けた際に、感謝とともに「恩」を感じます。私の恩師からは苦しい時にそれを突破できるような励ましや助言を頂きました。また、それによる大きな恩恵を受けたことにもつながり、まさにその恩師には一生をかけてでも報恩しないといけないなぁと思っています。

 このことわざにある「水滴のような恩」とは自分の中ではどのようなものでしょう。正直、私の中には“水滴のような”言い換えるとすれば“小さな”でいいのでしょうか、「恩」という言葉に大小・浅深・高低・遠近という違いがありませんでした。

 では、この「水滴のような恩」は自分の中ではどのような場面で感じるものなのでしょう。そう問い続けてみたところ、それは「感謝」「ありがたい」という言葉に集約できるのではないかと思いました。私が分からないことを教えて下さり感謝します。ごはんを作って下さりとてもありがたく思います。手伝って下さり感謝します。場面によっては「ありがとう」という一言でその場が流れていくことがあるかもしれません。

 「めったにない」「めずらしい」という言葉「有り難し」が「有難う」の語源であると伺ったことがあります。周りの方が私に対して施して下さっていることが「当たり前」と思っていないだろうか。とりあえず体裁として「ありがとう」を言っていないだろうか。

そして、この一つ一つの日常的にある「水滴のような恩」に対して湧き出る泉のような大きさで報いているだろうか。これに気づいたときとても衝撃とともに猛省をいたしました。

 「敬愛」は「人を敬いすべてのものを愛しむ」と私たちの法人では意訳します。どのような方をも尊敬の気持ちを持っていればあらゆることに対して感謝の気持ちが湧き出ます。

 自分を取り巻くお一人お一人が私にとってかけがえのない方々です。尊敬と感謝の気持ちを抱き、水の湧き出るような大きさで報いることが出来るようにして参りたいと決意したところです。

                                   みなみ野敬愛保育園 園長
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